豊里地区の開拓記念碑

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安曇野市穂高有明の豊里地区は、特にこの時期、緑の田園風景が広がる、とても綺麗なところです。観光客の方もよく散策されているのを見かけます。今日は、あいにくの雨でしたが、豊里界隈の写真を撮ってみやした。写真はクリックすれば拡大されます。(^^;

豊里界隈の田園風景1

豊里界隈の田園風景2

豊里界隈の田園風景3

その豊里の交差点近くに、戦後の開拓記念碑が建っていやす。

豊里の開拓記念碑

 

そして、写真にも写っている説明の看板には、以下のように書かれていやす。

有明演習地跡
ここは、大正4年(1915)から昭和20年(1945)にかけて、旧日本陸軍松本歩兵第50連隊が演習地(約170ha)として使用していた場所です。戦後、政府・県の指導により、この一帯に食糧増産を目的に76戸が入植し、開墾が行われました。 なお、この開拓の功績を偲ぶ記念碑から北西約150mの場所には、兵舎正門があった土塁の跡が今も残っています。

 

以下の2枚は、この看板に掲載されていた当時の写真です。
1枚目が「昭和10年頃の有明演習地風景」、2枚目が「昭和20年当時の有明演習地兵舎正門」と説明が書かれていました。

昭和10年頃の有明演習地風景

昭和20年当時の有明演習地兵舎正門

そして、こちらが、看板の説明にある、兵舎正門があった土塁の跡でやんす。上の写真2枚目の門の右側の部分ですね!

旧日本陸軍松本歩兵第50連隊有明演習地 兵舎正門があった土塁の跡

 

さらに、説明看板の後の碑誌を読んでみると、次のように書かれていやす。

碑誌
昭和20年大東亜戦争終結の秋痛恨と傷心を秘め食糧増産の緊急要請に応えるべく吾々に長野県補導部の主導により各地からこの地に参集した烈々たる闘志の前に旧陸軍演習地は見る見る開墾されていった
 
然し畑作農業の安定を期待することは容易なことではなかった
とりわけ昭和30年前後の数年は誠に苦難の連続で自衛隊演習場問題も起り多難であったが住民(当時776戸)一致協力によりこれを克服することができた
 
昭和34年深井戸開田の気運が高まり豊里巾上土地改良区の設立を見て漸く生活安定の基礎が確立した
昭和40年以降山麓開発の進展と共に穂高高原温泉郷の実現を見るに及んで俄然脚光を浴びるに至り名実共に豊里の村となった
 
ここに30有余年に渉る同志の彫身の労苦をかへりみるとき無量の感慨きわまりなし相共に努力した人々や今は亡き同志の功績を忍び本碑を建立する
 
昭和51年11月20日
豊里開拓記念碑建設委員会

 

戦後という大変な時期に演習地を開拓して苦労の末、現在の美しい田園風景を作り上げた先人らに思いを馳せると、僕は胸に熱いものが込み上げてくるのだ。

先人らの苦労によって、名前通りの豊かな里の風景となった、豊里は美しい・・・。

ということで、最後にもう一度、最初の豊里の風景を・・・。

豊里界隈の田園風景1

 

 

 

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YASUKE YAMURA

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