1度きりの人生を幸せに生きる
幸せを感じるライフスタイルの羅針盤!
 
森の中のちいさなお家
 
       
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1度きりの人生、あなたは幸せに生きていますか?
日々、満足感と充実感、そして幸せを感じていますか?
いそぎあしで毎日が過ぎてゆきますが
たまには一息ついて、人生を考えてみませんか。


森の中の小さなお家

家族の誕生

夫婦そして幸せ家族

 

幸せとお金

幸せになるためにお金は必要十分条件ではありませんが、現実問題としてお金抜きで幸せを語ることはできません。生活していく為にはお金が必要だからです。お金の大小ではなく、自分自身の幸せを守る為に必要なお金は維持していかなければなりません。
私は個人的には時代の流れと社会構造の変化を見ていると、今後、投資はお金持ちがするものではなく生きていく為に必要になってくると思っています。
現在、私は外国為替証拠金取引を利用して外貨取引を楽しんでいます。株などと違い小額で始められる事やリスクとリターンの両面から考えても、やり方さえ間違わなければ非常に魅力的な投資手段だと思っています。
少し勉強さえすれば、外国為替証拠金取引は個人的におすすめです!


みじかい人生、どうしてこうも悩みと苦労がたえないのか?
せっかくの1度きりの人生だから、もっと楽しく幸せに生きなければ・・・・・

父と弟の死、子供の誕生をたてつづけに経験し、少しだけ人生観がかわりました。
わたしは現在、田舎に引きこもり日々とても幸せを感じて生きています。
かつて今ほど精神的に穏やかで幸せを感じていたことはなかったでしょう。

はじめまして。矢村やすけと申します。

現在、森の中の小さな家で妻と3人の幼い子供の5人でなかよく暮らしています。
まわりの田園風景と自然は本当に美しく、風景をみているだけでも心が和んできます。

家のまわりにはアカシヤの木がおおく、春になると白い花が咲き、それを天ぷらにして食べるのですが、それを覚えていた、むすめは2歳の冬、こんな事を言いました。

むすめ:「いつ、3歳になるの?」
ちち  :「春になったら、3歳になるんだよ。」
むすめ:「じゃあ、アカシヤの花が咲いたら3歳になるね。天ぷらたべようね。」

幼いながらも、季節、時間の移り変わりをまわりの自然の変化で感じている、むすめの感性に感心し、
自然の中でのびのびと育っていく、こどもの姿に幸せを感じています。

森の中の住人たちは、とてもよい人が多く、なにげないコミュニケーションに、心が温かくなります。
とくに同じくらいのこどもを抱えた、うちも含めた4家族では、4家族共同でみなのこどもを育てている感覚です。
たとえばあるお家にそれぞれの子供を連れてお母さんが集まります。二人のお母さんで子供たちをおもいっきり、遊ばせて、残りの二人のお母さんで、ご飯の支度をして皆でご飯を食べます。そのあと、子供たち皆でお風呂に入って、それぞれの家に帰ると言った具合です。

わたしの森の中の小さな家には友人や隣人など、毎日のように誰かが訪れ、とても楽しく、にぎやかです。
こんな環境と生活、人間関係、ライフスタイルにとても満足し、毎日、幸せを感じて過ごしています。

自分の人生の中で本当に手に入れたかったものは手に入れたと思っています。
あと足りないものといえば、お金くらいでしょうか(笑)


幸せには色々な形があると思います。人それぞれ幸せの形は違うでしょう。私はたまたま田舎で家族や隣人、友人とノンビリと過ごす今の生活に幸せを感じていますが、逆にビジネスの最前線に身を置いて、緊張と達成感の中で幸せを感じている人もいるでしょう。私には様々な友人がいます。ごくごく普通の会社員、世間で言うところのエリートビジネスマン、会社経営者、医師、家事手伝い、学者、フリーター、弁護士、学生、裏稼業の方々等々、皆それぞれ世界は違いますが、話してみると、同じように悩み、もがき、満足感や充足感を求めて頑張って生きています。まったく形や手法は違っても、結局はそれぞれの幸せ探しをしています。

わたしの学生時代は偏差値が絶対の時代でした。
とにかく、良い高校、良い大学、良い会社へというのが世の中の風潮でした。つまり、より偏差値の高い高校、大学へ行って、一流企業に就職すれば、将来は安泰と思われていたのです。高校時代など私は一流大学に入学出来なければ、それで人生が終わってしまうといった強迫観念さえ持っていました。そして出世して社会的に高い地位を築かなければならないと思っていました。ひたすら仕事に邁進し、生活の中心は仕事であり、人生の価値は行ってきた仕事によって決まるとさえ思っていました。つい最近まで、それが正しい生き方だと信じていました。

もちろん、こういったライフスタイルが間違っているとも思いません。
世の中、「これが正しくて、これが間違っている。」ということはありませんから・・・・・
そのライフスタイルの中で幸せを感じているのならよいのです。
ただ、わたしには心の安定と幸福感がなかったというだけです。

わたしは父と弟の死によって立ち止まり、生きる意味を考えさせられ、人生の価値は仕事でも社会的な名声でもなく「いかに楽しく幸せを感じて生きるか。」だと思うようになりました。

これは、あくまでも、わたしが求める幸せの形であり、あなたの求める幸せの形とは違うかもしれません。
むしろ、違ってとうぜんだと思います。
ただ、少しだけ立ち止まって、あなたの人生の幸せを考えていただければ幸いです。
あたりまえですが、人生は1度きりですから。

あなたが満足感と、充実感、そして幸せを感じて日々、過ごせますように・・・・・

 
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