いぼ神様と呼ばれる行人様と黒沢不動尊・黒沢の滝
皆さんは、行人塚というのは、ご存知ですか?
行人塚は、行者が生きたまま埋葬され、即身成仏したと伝えられる塚のことです。穴の中に入って、竹筒の空気穴だけを外に出し、お経を唱えながら、即身仏(ミイラ)になっていくやつですね。それほど数が多くあるわけではないですが、注意深く安曇野を歩くと、この行人塚を、目にする事があります。そんな中でも、豊科真々部の行人塚は、「いぼ神様」と言われ、お社まで建っています。
いきなり急須だらけで、インパクト大です。(^^;
それにしても、なぜに急須?
と思うわけですが、立っていた看板には、以下のような説明が書かれていました。
行人様
寛政8(1796)年に亡くなった根誉上人(行人)を祀ったお社です。江戸時代中期、黒沢不動の枡形山で修行を積んだ根誉という行者の庵跡で、行者特有の加持祈祷のほか山野草の知識にも詳しく、村人の病苦救済に功徳を施したと伝えられています。
死期を悟った行人は、当時の「いぼ」と呼ばれた難治の皮膚病患者の病をわが身に移させ、人々の病の治癒を願って自ら生き埋めとなり、竹筒を立てて、急須で湯茶を注いでもらい念仏を唱えながら亡くなったそうです。
真々部区誌によると、「行人は、山中での超人的修業を積み、医業の心得もあって村人の精神的指導や医療を行い村人に尊敬されていたと思われる。」と記述されています、入寂は7日目の2月9日、いわゆる即身成仏でした。また、「我が行を助けんとする者は茶をあたえよ」と言われていたので多くの人が競って茶を進呈したり、その後も茶器をお供えしたといわれています。
昭和の初めころ、世界的大不況で行人の徳を慕う住民感情が起こり、参詣する人が多かったといわれています。行人様の4月の大祭に五色の吹き流しが折からの突風にあおられ、固く結んでほどけなくなってしまいました。玉のようになったこの不思議さはたちまち評判となり一日市場駅から列車が着く度に行列ができるほど参拝者が多い神様になりました。
昔の「いぼ神様」は何にでもご利益のある流行神となり拝殿や社務所ができ、周辺の整備もされ、急須や湯飲みを塗り込めた塀や塔が作られました。
また、付近にはお土産屋と一杯屋が数軒常設され、花火も上がったといわれています。
昭和62年4月に、地元出身者の寄進により石の鳥居が建立されたのを機会に宮司を祭司とし、僧侶を招き氏子総代他賛同者で4月23日に祭事が行われています。
鳥居は修業の地枡形山に向かって西向きに建てられています。
平成25年9月 真々部歴史研究会
村人の為に尽くした根誉上人が、最後にはイボで動けなくなり、生き埋めとなってから、空気穴の竹筒から、お茶を注いでもらっていたところから、この急須に繋がるんでしょうね。
また、「イボ神様」と呼ばれて、この境内の小石をなでているとイボが直ると言われており、治ったら、そのお礼に、小石を倍にして返すか、お茶をあげる習慣があったそうです。それが、昭和大恐慌の時に、流行り神様に祀り上げられ、急須の塔や茶器の塀まで出来ちゃったみたいです。
茶器が塗り込められた塀と急須の塔
そして、こちらが、看板の説明の中に昭和62年4月に寄進されたと出てくる石の鳥居。
こんなふうに、神社の形態になっていますし、遠目にも鎮守の杜があり、神社なんですけど、肝心の行人塚は、この写真の拝殿の裏側にひっそりと佇んでいます。
この場所で、その昔、根誉上人という、えらい上人様が、即身成仏したかと思うと、感慨深いものがあります。ちなみに、根誉上人は「こんよしょうにん」と読むそうです。
ここって、逸話も興味深いものがありますし、見た目もけっこうなインパクトがあるにも関わらず、ちょっと入り込んだ場所にあるせいか、安曇野に住んでいる人も、ほとんど知らないんじゃないかと思います。ネット上にも、ほとんど、情報がありませんし・・・。
あっ、いちおう場所的には、豊科真々部の諏訪神社の東側の田園地帯になります。諏訪神社から東側を見て、目に入る鎮守の杜が、この行人様です。
ちょっと、興味をもってしまった僕は、ネット上に情報もないですし、思わず、 豊科郷土博物館まで問い合わせをしてしまいましたが、この看板に書かれている事以上の情報は、ほとんど無いようです。
そして、僕が、この看板で気になったのが、根誉上人が修業を積んだと言われる、黒沢不動の枡形山です。これまで、この地で枡形山なんて名前の山を聞いた事が無かったものですから・・・。実際にネットで検索しても、安曇野で、枡形山なんていう山は出てきません。豊科郷土博物館の方でも、調べてもらいましたが、やはり、枡形山という山の記載がある文献は無いみたいです。きっと、言い伝えが残る、この地域だけで、昔、使われていた名前なんでしょうね・・・。
いずれにしても、根誉上人が修業を積んだのは、現在の黒沢不動尊や黒沢の滝界隈の山だったって事だと思います。黒沢不動尊は、安政2年(1855年)に建てられているようなので、根誉上人が亡くなったと言われる1796年から約60年後に建てられたって事になります。黒沢不動尊は、根誉上人が亡くなった後に建てられてはいますが、この界隈は、元々、修験者信仰の場として開山されているようなので、根誉上人も、そんな場所で修業を積んだってことなんだと思います。
ということで、ふと、根誉上人が修業を積んだ山を訪ねてみようと思い立ち、黒沢不動尊のある西山へと、車を走らせました。
安曇野市三郷にある黒沢の滝を目指して林道を上がって行くと、黒沢川の谷の断崖に「黒沢不動尊」が建っています。けっこう、細い林道を上がっていく事になりますが、普通に乗用車で入れます。
林道から対岸の黒沢不動尊に渡る橋は昭和25年に造られたもののようです。
黒沢不動尊に渡る橋の上から、黒沢川上流を。
そして、この黒沢不動尊から、さらに林道を上って行くと、行き止まりになり、そこから少し歩いて上がって行くと、黒沢の滝に辿り着きます。
黒沢の滝上段
黒沢の滝下段部分
黒沢の滝全景
個人的には、黒沢の滝へ上がる道でしか見た事がない、野生のチョウセンニンジン。
黒沢の滝の辺りは、かなりの山奥で、いつも、クマに遭遇しないか、ビビリながら歩いています。今日は、大きなアオダイショウに遭遇しましたし、根誉上人の頃、こんなところで一人、寝起きをして修業をしたなんてのは、現在の我々からは、想像を絶する世界だったんじゃないかと思ってしまいます・・・・。