青年日本の歌(昭和維新の歌)と母校の歌集

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今年の夏は、30年ぶりに高校の同級会に出させてもらう事になった。
同級会に向けて尽力してくれた当時の同級生には感謝なのだ。

蒼溟遠き波の涯
黒潮たぎる絶東に
たてり大和の秋津洲
光栄の歴史は三千年
その麗しき名を負へる
蜻蛉男児に栄あれ

これは、母校の校歌の1番の歌詞だが、これほど壮大な県立高校の校歌も、そうはないのではないかと思う。古事記に出てくる日本国を指すと思われる秋津洲(あきつしま)とトンボを意味する蜻蛉(あきつ)をかけており、日本と日本男児を称えると同時に「蜻蛉男児に栄あれ」で、そのままトンボが校章の母校の学生を同時に称えるものになっている・・・。

僕は、この歌詞が好きで、若い頃は、この歌詞のように壮大な人間になりたいものだと思ったものだが、それとは、裏腹に、いたって平凡な人生を送っているのだ。(笑)

当時は、高校に入学するとすぐに、歌集を手渡され、たしか5番まであった校歌はもちろん、いくつもの応援歌や記念祭歌を応援練習と称して覚えさせられたものだ。新入生、最初の試練だ。

母校の校歌や応援歌を愛する人は多く、何かにつけて歌ったものだが、それでも、1年生最初の応援練習が終わってしまえば、応援団を除けば、この歌集をよくよく読んだ人は少なかったのではないかと思う。

この歌集には母校の校歌や応援歌以外にも、早慶や旧制高等学校の寮歌などが収録されており、素晴らしいものだったが、もちろん、僕もこの歌集をその後、開く事はほとんど無かった・・・。

高校を卒業後、10年ほどしてから、たまたま、僕は、この歌集を再び手にする事があった。なぜ、手にしたのか忘れてしまったが、とにかく、その時に、歌集の中に青年日本の歌(昭和維新の歌)が収録されているのを見つけて、大いに驚くと同時に、こんな歌まで収録した歌集を伝えていた我が母校のなんと素晴らしいことか!と思った事を憶えているのだ・・・。(^^)

青年日本の歌(昭和維新の歌)は、、昭和5年5月、当時24歳だった三上卓海軍少尉が作詞したもので、とにかく素晴らしい歌詞だ。いつ読んでも、今現在の日本の事を歌っているものではないかと思わされる内容だ。特に一番などは、楚辞を読んでいなければ、書けるものではなく、24歳という若さの軍人さんが、さらっと書いたと考えると、その教養には驚かされるのだ。もっとも、三上卓海軍少尉に関しては、その後を読むと、個人的には、あまり好きになれない人物ではあるのだけれど・・・。(^^;

その後、この歌は昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いでいる。現在では、青年日本の歌(昭和維新の歌)は、軍歌というジャンルに入れられているが、内容や経緯的にも、軍歌とは言えないと僕は思うのだけれど・・・。(^^;

何はともあれ、その歌詞が素晴らしい事は確かだと思うので、以下に掲載させて頂きやした。是非、読まれてみて下さい。(^^;

青年日本の歌(昭和維新の歌)
作詞・作曲:三上 卓
 

一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
 
二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
 

三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
 

四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
 

五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや
 

六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
 

七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
 

八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
 

九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
 

十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな

いちおう、Youtubeからも・・・。(^^;

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YASUKE YAMURA

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