巨大な親鸞聖人の像と笹川流れ 日本一のカルト温泉に浸かりたかったって話

昨日は、国の名勝天然記念物の笹川流れを見てみようと、新潟市から村上市に向けて走っていました。途中、胎内市では、昨日の投稿のように海底油田の施設が見えたり、巨大な風車が延々と海岸沿いに立ち並んでいたりと、けっこうテンションが上がっとりました。

砂防林の向こう側で回る風車の大きさは、ちょっと異様さを感じてしまうほどの迫力でしたが、そんな風車のインパクトを消し飛ばすかのように、走っていると、突然、高さ40mの巨大なオッサンの像が出現します。巨大な観音様の像は、各地で見かけますが、こんなオッサンの巨大像は初めてでした。あまりのインパクトに、思わず車を停めてしまいやした。(^^;

越後の里親鸞聖人総合会館

巨大親鸞聖人の像

越後の里 親鸞聖人立像

車を停めて看板を見ると、「越後の里」という宗教法人の親鸞聖人の像である事が、すぐ分かりました。しかし、門の所からは立ち入り禁止になっていましたし、どう見ても、荒れ果てた雰囲気で、放棄された宗教施設って感じでやんした。宗教施設独特の怪しさ満開の雰囲気だけど、それでも、これだけの施設を放置って、もったいないな~、なんて思いながら写真を撮っていると、上の写真のずっと左手の方から、数人の若いお兄ちゃんらが、出てくるではありませんか!!

なんだ!放棄された施設ではなかったのかと、お兄ちゃんらが出てきた方へ移動して見ると、「越後の里親鸞聖人総合会館西方の湯」とあり、どうやら、この宗教法人が経営している温泉施設のようでした。しかし、その入り口の雰囲気たるや、怪しさ満開で、この時には、入ってみようという発想どころか、入口の写真を撮るということすら考えませんでした。

戻ってきてから、あの施設はなんだったのだろうかと調べて、初めて知ったのですが、お湯が日本一臭いカルト温泉として、温泉マニアの間では、かなり有名な温泉だったようです。そんな、けったいな温泉だったら、何としてでも入ってきたかったと後悔しきりでごぜーます。まっ、次回、新潟に行った際、時間があれば、是非、トライしてみたいと思っとります・・・。(^^;

日本一のカルト温泉『西方の湯』 – Naverまとめ

この施設を後にして、いよいよ目的地だった「笹川流れ」へ。笹川流れは、美しい海の代名詞と言われる見事な景観を誇る延長11キロメートルの海岸でごぜーます。実際に素晴らしい景観ですし、海の水も透明に澄んでいて綺麗でしたが、とにかく、溢れかえる海水浴客で、駐車場も道沿いも車を停める場所が全くといっていいほど無くて、ほとんどのビーチに下りる事ができませんでした。写真は、そんな中で、それほど人気の無いビーチのようで、かろうじて、車を停められた場所で撮ったものです。ここも、また、海水浴シーズンでない時に、再トライ出来ればなんて思っていますが、まっ、なかなか、ここまで行く機会は無いんでしょうね・・・。(^^;

笹川流れ

笹川流れ


岩船沖油ガス田と新潟県胎内市の風車

新潟県村上市の笹川流れという海岸に向かう途中、胎内市あたりから、海底油田の施設のようなものが見え始め、ちょっとビックリ。新潟の日本海では石油や天然ガスが出るのは知っていましたが、まさか、あんなに立派な施設でやっているとは、思いもよりませんでした。

岩船沖油ガス田という名前で、胎内市の沖合4キロに位置している、現在、日本国内で操業している唯一の油ガス田のようです。

第三紀の砂岩層が貯油層となっており、採掘深度は約1,400から3,000m。 2012年段階の年間生産量は、原油101,000キロリットル、天然ガス196百万立方メートルとなっている。

ウィキペディアより

岩船沖油ガス田

岩船沖油ガス田

 

また、胎内市の海岸沿いには巨大な風車が延々と並び、なかなか壮観でやんした。風車も間近で見ると、防風林の松の木よりも、一枚の羽が大きく、ちょっと、異様さを感じてしまうほどの大きさでやんした・・・。(^^;

胎内市の風車


40年前と同じように咲く朝顔、でもそれは違う花・・・

昨日は、高校を出て以来、30年ぶりに会う同級会でごぜーました。
30年も経つと、最初、誰だか分からないなんて人もいたりするけれど、ほんの2時間も一緒にいると、違和感が無いというか、昔と大して変わらんような気がしてくるから不思議なのだ・・・。(^^;

まっ、何はともあれ、昨日は楽しかったのだ。(^^)

この歳になると、やはり職業が顔に出てきたリしやす。当たり前なんですけど、みな、それぞれの道を歩んできた事を感じさせられます。でも、話すと感じるのは、その人の本質は変わってないって事でやんす。

高校生の頃の自分に比べれば、そりゃ僕だって、少しは経験も知恵もありやす。でも、本質は30年前と何も変わっちゃいない・・・。

そう、変わった事と言えば、飲んで帰ってきて3時半に寝ても、昼まで寝ていられずに、7時には目が覚めてしまう事かな・・・。

こんな時に自分は変わったつもりはなくても、確実な体の劣化と時の流れを実感させられたりするのだ・・・。(^^;

40年前に僕が実家にまいたアサガオは今年も変わらず同じ花を咲かせているんですけどね・・・。でも、それは違う花・・・。

朝顔


有明山神社の天井絵

有明山神社の神楽殿には、素晴らしい格天井絵があるんですが、この天井絵の存在は、案外、地元の人でも知っている人は少ないのかもしれません・・・。

ちなみに、有明山神社は、天の岩戸と有明山で紹介した山岳信仰に基づく神社で、有明山頂が本殿であり、有明山神社そのものは、拝殿って感じの神社でやんす。(^^;

旧豊科町の画家、藤森桂谷が東西奔走し、明治の代表的な画家、橋本雅邦をはじめ、全国や地元の画家51名が描き、神社の宝であると同時に、旧穂高町により有形文化財に指定されているようです。

僕は、芸術はよく分からんタイプではあるんすけど、1枚1枚には植物や木の実などが多く描かれており、優しい感じの絵で、しばし、上を見上げて眺めてしまいやした。植物好きの僕としては、「夕顔」や「柿」などの植物を描いたものが、好みですが、明治の大家、橋本雅邦が描いた「烏」が有名なようです。

普段は、神楽殿には鍵がかかり、入れなくなっていますが、見せて欲しいとお願いしたら、快く、開けてくれて、見る事ができやした。感謝です。(^^)

有明山神社神楽殿格天井絵

有明山神社の天井絵

 

そして、こちらが、橋本雅邦の「烏」

有明山神社の天井絵 烏

 

神楽殿の中には、後鳥羽上皇が領主仁科盛遠に国家安泰を祈願させ、建保3年(1215年)6月「暁時雨」と題して詠まれた「かたしきの衣手寒く時雨つゝ有明の山にかかるむら雲」(続古今集五八七番)という御歌を賜ったということで、それが、かかっていやした。

有明山神社神楽殿 後鳥羽上皇の歌

 

有明山神社神楽殿を外から

有明山神社神楽殿

 


お盆の長野縣護國神社

子供の頃、毎日のように遊んだ長野縣護國神社、結婚式もお宮参りも長野縣護國神社と、個人的には、とても深い関わりの護国神社です。毎年の、お盆、実家に寄ったついでに、必ず立ち寄って、写真を撮ってしまっています。今年は、写真を撮った時は、あいにくの小雨でしたけど・・・。(^^;

お盆の護国神社1

お盆の護国神社2

蝉の抜け殻と護国神社の鳥居


お盆

お盆のお墓参りで松本の実家に来ています。
お盆の迎え火や送り火には、こちらの地方では、カンバ(白樺の皮)を燃やします。この燃やすものは地域によって違うようで、同じ長野県内でも、藁だったり、杉の葉だったりと色々のようです。子供の頃からお盆に必ず目にしている光景の為か、このカンバを燃やす迎え火を見ると、「あー、お盆だなー。」と、落ち着いた気分になりやす。(^^)

Today is the first day of the Obon. Obon is a Japanese religious custom to pray for ancestors. Many people go back to their hometown to visit family’s graves during Obon season.

Every household welcomes back its ancestors’ departed souls to this world during this period, which is usually from August 13 through 15.

In the area in which I live, we clean the graves of our ancestors and family members. And, we prepare the vegetable horses or oxen, which are supposed to carry the returning souls. They are called “Syouryou Uma”. A photo is “Syouryou Uma” which my children made today.

Furthermore, we make fires at the entrance of house, in order to welcome the returning souls on the first day of the Obon period, August 13th. Fires light up the pathways from the graves to the homes and lead the returning souls to their homes. This custom is called “Mukaebi”. A photo is “Mukaebi” in front of my house of today.

That is, the soul of ancestors, such as a grandpa and a grandma who passed away during the Obon period goes back their home.

We make fires again on the evening of the 16th to send the souls off. This custom is called “Okuribi”.

Thus, Japanese people respect the dead and have the custom of living with the souls. 

 

迎え火(Mukaebi)

迎え火(カンバを燃やしてます。)

 

精霊馬(Syouryou Uma)

精霊馬

 

おまけで蝉の抜け殻と護国神社の鳥居。(^^;

蝉の抜け殻と護国神社の鳥居


タラノキの花

春先、山菜の王様などと称され、よく天ぷらなどにして食べられるタラの芽ですが、タラノキの花は、もしかすると、都会の方とかは、あまり見られた事がないかもと思い、撮ってみやした。(^^;

タラノキはタラの芽が山菜として有名ですが、それ以外にも、幹や根の皮が胃腸に良く、干して、それを煎じて服用したりしやす。また、今、調べたら、糖尿病の予防にも良いんだとか・・・。

ちなみに、花は食べられません。
ノカンゾウとかタンポポとか、案外、花を天ぷらにすると美味しいものって、けっこうあります。タラノキの花って、ちょっとウドの花に似ています。ウドの花は天ぷらにするとビターテイストで、口の中にウドの香りが広がって美味しいです。そうなるとタラノキの花もいけるんじゃないかと思うんですけど、残念ながら、タラノキの花は香りも無いし、苦くてエグ味があって食えた代物んじゃありません・・・。(^^;

 

タラノキの花

繁茂したタラノキと花


青年日本の歌(昭和維新の歌)と母校の歌集

今年の夏は、30年ぶりに高校の同級会に出させてもらう事になった。
同級会に向けて尽力してくれた当時の同級生には感謝なのだ。

蒼溟遠き波の涯
黒潮たぎる絶東に
たてり大和の秋津洲
光栄の歴史は三千年
その麗しき名を負へる
蜻蛉男児に栄あれ

これは、母校の校歌の1番の歌詞だが、これほど壮大な県立高校の校歌も、そうはないのではないかと思う。古事記に出てくる日本国を指すと思われる秋津洲(あきつしま)とトンボを意味する蜻蛉(あきつ)をかけており、日本と日本男児を称えると同時に「蜻蛉男児に栄あれ」で、そのままトンボが校章の母校の学生を同時に称えるものになっている・・・。

僕は、この歌詞が好きで、若い頃は、この歌詞のように壮大な人間になりたいものだと思ったものだが、それとは、裏腹に、いたって平凡な人生を送っているのだ。(笑)

当時は、高校に入学するとすぐに、歌集を手渡され、たしか5番まであった校歌はもちろん、いくつもの応援歌や記念祭歌を応援練習と称して覚えさせられたものだ。新入生、最初の試練だ。

母校の校歌や応援歌を愛する人は多く、何かにつけて歌ったものだが、それでも、1年生最初の応援練習が終わってしまえば、応援団を除けば、この歌集をよくよく読んだ人は少なかったのではないかと思う。

この歌集には母校の校歌や応援歌以外にも、早慶や旧制高等学校の寮歌などが収録されており、素晴らしいものだったが、もちろん、僕もこの歌集をその後、開く事はほとんど無かった・・・。

高校を卒業後、10年ほどしてから、たまたま、僕は、この歌集を再び手にする事があった。なぜ、手にしたのか忘れてしまったが、とにかく、その時に、歌集の中に青年日本の歌(昭和維新の歌)が収録されているのを見つけて、大いに驚くと同時に、こんな歌まで収録した歌集を伝えていた我が母校のなんと素晴らしいことか!と思った事を憶えているのだ・・・。(^^)

青年日本の歌(昭和維新の歌)は、、昭和5年5月、当時24歳だった三上卓海軍少尉が作詞したもので、とにかく素晴らしい歌詞だ。いつ読んでも、今現在の日本の事を歌っているものではないかと思わされる内容だ。特に一番などは、楚辞を読んでいなければ、書けるものではなく、24歳という若さの軍人さんが、さらっと書いたと考えると、その教養には驚かされるのだ。もっとも、三上卓海軍少尉に関しては、その後を読むと、個人的には、あまり好きになれない人物ではあるのだけれど・・・。(^^;

その後、この歌は昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いでいる。現在では、青年日本の歌(昭和維新の歌)は、軍歌というジャンルに入れられているが、内容や経緯的にも、軍歌とは言えないと僕は思うのだけれど・・・。(^^;

何はともあれ、その歌詞が素晴らしい事は確かだと思うので、以下に掲載させて頂きやした。是非、読まれてみて下さい。(^^;

青年日本の歌(昭和維新の歌)
作詞・作曲:三上 卓
 

一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
 
二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
 

三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
 

四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
 

五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや
 

六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
 

七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
 

八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
 

九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
 

十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな

いちおう、Youtubeからも・・・。(^^;


芙蓉(フヨウ)の花とハイビスカス

今、安曇野では、あちこちで芙蓉の花が咲いています。(^^)
芙蓉の花と言っても、そのほとんどがアメリカ芙蓉で、日本芙蓉は、僅かな気がしやす。畑の脇とかに咲いてるのは、大抵、葉っぱに切れ込みがなく丸いので、ほぼ間違いなくアメリカ芙蓉だと思います。

僕は、お恥ずかしながら、日本芙蓉とアメリカ芙蓉のしっかりとした見分けがつきません。日本芙蓉は、葉に切れ込みがあるので、すぐ下の写真のやつなんかは、日本芙蓉のような気がしますが、それでも、雰囲気、ちょっと怪しい気がしやす・・・。(^^;

日本芙蓉?

 

下の3枚は、間違いなくアメリカ芙蓉の気がします。

アメリカ芙蓉

アメリカ芙蓉で田園風景

アメリカ芙蓉

芙蓉の事を学名では、Hibiscus mutabilis と言いやす。ちなみに、今の時期、安曇野でも、あちこちで目にする、ムクゲはHibiscus syriacus、モミジアオイは、Hibiscus coccineusと、見てもらって分かる通り、全部、頭に「ハイビスカス」がついてますよね。

日本で、普通、ハイビスカスと言えば、ハワイに行くと首にかけてもらう花の事ですが、ハイビスカスってのは、フヨウ属全体を指す言葉でやんす。もちろん、ハワイのハイビスカスもフヨウ属でごぜーます。そのフヨウ属全体を指す言葉が、日本では、なぜかハワイで首にかけてもうら花の名前になってしまっているわけでごぜーます。(^^;

通りすがりに撮ったモミジアオイ

モミジアオイ

実は、CO2の吸収能力や水質浄化能力が高く、かつパルプの代替原料としても利用価値があり、環境に優しい植物として、日本でも、一時期、栽培がはやったケナフも、ハイビスカスでやんす。

ほとんどの方は、ご存知ないかもしれませんが、たまに安曇野でも、畑の脇などで目にするギンセンカもハイビスカスで、案外、フヨウ属の種類はたくさんあったりしやす・・・。(^^;

そして、芙蓉と言えば、旧制第一高等学校寮歌の第十ニ回紀念祭寮歌、あの有名な「嗚呼玉杯に花うけて」の2番で、次のように歌われていやす。

芙蓉の雪の精をとり 芳野の花の華を奪ひ
清き心の益良雄が 剣と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か 人生の偉業成らざらん

この歌詞の芙蓉はもちろん、花の芙蓉ではなく、別名、芙蓉峰と言われる富士山のことでやんす。旧安田財閥系の芙蓉グループも、中核だった富士銀行の富士から逆に芙蓉と名づけられており、芙蓉は富士山を指す言葉として、よく使われています。

なぜ富士山を芙蓉というかは、芙蓉の花のように美しい山だからとか、説はあるみたいですけど、どうもはっきりとはしていないようです・・・。(^^;

まっ、とりあえず、今、安曇野は芙蓉が花盛りということで・・・。(^^)


デスクトップの壁紙にいかがですか?【涼を感じる壁紙】

暑い日が続いているので、PCのデスクトップの壁紙くらい涼しいものにしようかと、冬山の写真や雪景色を壁紙にすると、個人的には今の季節からは、かけ離れ過ぎていて、どうも違和感があっていけません・・・。(^^;

たまたま、春の絶妙に美しかった青木湖の風景をデスクトップの壁紙にしてみたところ、涼も感じるし、なんか、違和感なく、ピッタシ!!って感じで、気に入ってます。(^^)

ということで、春の青木湖の写真をはじめ、安曇野から涼をお届けということで、いくつか、涼し気な風景をダウンロードできるようにしてみました。

解像度が1366×768なので、サイズが合わない方も多いかもしれませんけど・・・。(^^;

澄みきった青木湖の水

 

浮草と一緒に浮くハスの花びら

 

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水面に波紋を描きながら涼し気に泳ぐカモ

 

黒川沢の小さな滝壺

 

黒川沢の流れ

 

 


長野県中部の天気

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