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オモトとテンナンショウの赤い実

オモト(万年青)に赤い実がついていたので撮ってみたのだ。
オモトは祖父母や親父が好きだったのか、子供の頃、家の庭に植えられていたし、冬になると、よく祖父母の部屋の床の間にオモトの鉢植えが置かれていたのを憶えている。もっとも僕自身は、オモトに魅力を感じた事はないのだけれど・・・。(^^;

オモトは山に自生していたりもするのだけれど、主に観葉植物として鉢植えなどで栽培されているのが多いように思いやす。ウィキペディアによると、日本でのオモト栽培の歴史は古く、江戸時代には武士階級を中心に一大ブームがあったらしい。また、明治に入ってからは、栽培の中心は武士から富裕層へと変わり、明治十年頃に京都を中心に大きなブームがあり、一鉢千円(現代の一億円に相当)という例があったというから驚きなのだ。そして現在でも、公益社団法人日本おもと協会なんてのがあるくらいだから、その人気は根強いのだろう。個人的には、オモトのどこに、それほどの魅力があるのか、よく分からないのだけれど・・・。(^^;

僕個人が面白いと思うのは、カタツムリ媒花 と言って、オモトはカタツムリやナメクジによって受粉されるってことだ。カタツムリやナメクジが受粉する植物って、オモト以外だとあまり聞かない。調べてみると、ネコノメソウとかクワズイモなんてのがカタツムリ媒花らしい。まあ、絵面としては、カタツムリやナメクジの受粉って、個人的には、あまり気色いいもんではない感じがするけれど・・・。(笑)

 

僕は、このオモト(万年青)の赤い実とテンナンショウ(天南星)の仲間の赤い実がイメージ的にだぶるのだ。子供の頃、山で初めて、代表的なテンナンショウの一つであるマムシグサの赤い実を見た時、一瞬、オモトかと思ったくらいで、以来、山でテンナンショウの赤い実を見れば、オモトを思い出し、逆に、オモトの赤い実を見ると、テンナンショウを思い出すのだ。(笑)

 

秋に満願寺の境内で撮ったテンナンショウの赤い実。
まだ熟しきっておらず、緑から赤へとグラデーション状態だけど・・・。(^^;

テンナンショウの仲間って、基本的には毒草で、代表的なマムシグサなんかは毒草の典型なのだ。上の写真のテンナンショウの赤い実は、マムシグサではないけれど、マムシグサも同じような感じの赤い実がつく。もちろん、この赤い実も毒だ。この実を口に入れて、噛むと、口の中から喉から、一斉に四方八方に針が飛び出したかのような激痛が走るらしい。暫くは、物を口に入れられないような状態になるらしいから、恐ろしいのだ。

テンナンショウの仲間は雌雄異株で、こちらはキノコバエというコバエの仲間が受粉を行う虫媒花だ。実は、テンナンショウの花は、受粉を行うコバエにとっても恐ろしい存在なのだ。

 

マムシグサの花。

この筒状の苞の中に花序がある。そして、この筒状の苞の上からコバエは進入するんだけれど、中には、かえしがついていて、入る事は出来ても、出る事は出来なくなっているのだ。雄花に進入したコバエは、上から出れないから、中で暴れ回って花粉まみれになるわけだけど、この苞の下に、かろうじて、はい出る事ができる小さな隙間があり、そこから、なんとか脱出する。

そして、ふらふらと、また次の花に進入し、それが雌花だと、コバエにとっては悲惨な運命が待ち受けている。雌花も同じく、上にはかえしがついていて、上から出る事はできない。そして、雌花には雄花にはある苞の下の隙間がないのだ。よって、コバエは雌花の中で死ぬまで受粉作業をさせられ続けて、一生を終えるのだ。合掌。

マムシグサなんかは、毒草で、見た目も、なんか、ちょっと恐ろし気だし、山で出会うと、僕は未だに、一瞬、ドキッとする。しかも、その生態まで、なんか恐ろし気だから、身近な恐怖植物って感じなのだ・・・。(笑)

 

 

矢村やすけ: 矢村やすけと申します。 僕が住む、安曇野には八面大王伝説という伝説があります。その伝説の中で、妖力の強い八面大王をうつ為の矢に使う三十三節ある山鳥の尾羽を、矢村に住んでいた弥助が坂上田村麿呂に献上します。現在、僕が住んでいる場所が、その矢村地区に近いので、矢村やすけとしました。 安曇野の地名は、この八面大王伝説由来のものが多いです。そんな伝説に彩られた安曇野の風景を主にスマホ写真で投稿していきます。(^^)
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