三段紅葉を今日はデジカメで

いつも僕はスマホでしか写真を撮らないんですけど、昨日、三段紅葉を撮ってみて、やはり少しズームしないと、三段紅葉の感じが分かってもらえない写真になってしまうな~と思い、今日はデジカメで少しズームして撮ってみました。デジカメと言っても安物のコンデジですけど・・・。(^^;

場所は昨日と同じく家の近くの穂高有明から大天井岳方面です。(^^)

 

三段紅葉とリンゴ

三段紅葉とススキ

 

 

 


三段紅葉(穂高有明にて)

大天井岳方面のお山の上が白くなり、針葉樹の緑と紅葉で三段紅葉になっています。

1枚目は、リンゴの赤も入れたら、四段紅葉かも?(笑)

 

三段紅葉1 穂高有明にて

三段紅葉2 穂高有明にて

 


長峰山からの雲海

今朝は、今シーズン初の完璧な長峰山からの雲海が見られやした。

朝、空を見て、こりゃ、雲海が見られるかもと、慌てて長峰山へ車を走らせました。感覚的には、どんよりした曇り空からやがて、濃い霧の中、そして、霧が晴れ始めて、日が差して来たと思ったら、突然、目の前に雲海と、雪を被った常念岳が現れるって感じで、その瞬間はテンションマックスでごぜーます。予想していた風景とはいえ、一人、車の中で、「わぉ!」を3連発しとりました。(笑)

ということで、本日の長峰山からの雲海をかくど違いで何枚か。

 

長峰山からの雲海1

長峰山からの雲海2

長峰山からの雲海3

長峰山からの雲海4

長峰山からの雲海5

長峰山からの雲海6

長峰山から下りてきて、コンビニ寄ると、おばちゃんらが、「曇ってたと思ったら、急に日が差してきたね~。おもしろい天気だねー。」なんて会話をしとりました。心の中で、「そりゃ、そうだ!!分厚く見えてもこんな雲は午前10時まではもたいない。今日は間違いなく快晴だよ!!」なんて、思いながら、愉快な気持ちで家に帰ってきたのだ。(^^)

 

 


美鈴湖の上のカラマツの黄葉

松本まで行ったので、ついでに美鈴湖の上まで行って、カラマツの黄葉を撮ってみました。光に輝くカラマツの黄葉はなかなか綺麗だったのだ。(^^)

※カラマツの名前の由来などは以前の投稿をご覧ください。

 

カラマツの黄葉1

カラマツの黄葉2

カラマツの黄葉3

 

おまけで、今日の美鈴湖の写真も。(^^;

美鈴湖1

美鈴湖2

 


雨上がりの新屋公民館と雲から顔を出し始めた有明山

午前中は雨降りでしたが、午後になって雨が上がり、雲から顔を出し始めた有明山と新屋公民館、そして柿の実など、なんとなく、風情を感じたので、パチリ。(^^)

 

雨上がり雲から顔を出した有明山と新屋公民館

 


穂高有明にて朽ちかけた家を撮りながらとりとめもなく・・・

雨の中、ふと目に飛び込んできた朽ちかけた家の前にカエデが赤く紅葉し、なんか、いい感じだったので撮ってみました。(^^)

穂高有明の朽ちた家とカエデの紅葉

人は綺麗なものや美しいものに惹かれます。それが風景であれば、山だったり花だったり、海だったりと様々なんですが、時には、こんな朽ちかけた家や廃屋に美しさを感じ、惹かれたりする事があります。まあ、わびさび感だと言ってしまえば、それまでなんですけど、外国の人だって、廃屋が好きで、そればかり撮る人だっているわけですし、少なくとも朽木を撮る人は多いと思います。こういった、朽ちていくものに惹かれるって感性は、もしかしたら世界共通なのかもしれませんね・・・。

僕は人間の感情とか感性ってのは、進化の過程で、生存にかかわるところで獲得されてきたものだと勝手に思っています。だから、「美しい」って感性も、進化の過程で、みな、なんらかの理由があって獲得されてきたものだと思っています。

分かりやすいところで言えば、美男美女が平均顔ってのも、生存的な理由からなんでしょうし、花が美しいってのも、氷河時代が終わって、大地に恵みが溢れ始めた象徴だと思えば、それを美しいと感じるのは分かりますし、さらに、そこに飛び交う蝶が美しいってのも、そういった象徴的なものなのかもしれません。

晴れて穏やかな山や川、海には美しさを感じます。やはり、それは恵みの象徴だからでしょうし、逆に、荒れ狂った山や川、海に対して美しさを感じることはあまり有りません。逆に恐怖感が大きくなりますよね・・・。

そうやって考えると、ふと、なぜ、朽ちていくものに惹かれるのかってのを、ちょっと考えてしまいました。朽ちていくわけですから、人にとっての恵みとは、およそ逆のような気がします。でも、よくよく考えてみると、同じ朽ちるでも、食べ物が腐っていく様子に惹かれる事はありません。

美しさを感じる朽ちていく様というのは、こういった古い家だったり、大木だったり、場合によっては岩石の風化だったりと、共通点は、既に人への恵みとなり得なくなった物が、土に還っていく様子や、その象徴だったりする気がします。

植物が育つ事ができるのは、地表の数ミリから数10センチの表土と言われる部分だけです。もちろん、作物もここでしか育つ事ができません。つまり、この部分でしか、人は昔も今も、穀物などの恵みを受ける事ができないわけです。この部分では微生物の活動が活発で、多くの物が朽ちます。

森林の中の大木の多くも、やがては朽ちて表土に還っていくわけですから、朽ちる事は、恵みを提供してくれる表土が作られる過程とも言えるわけです。つまり、朽ちる事は人への間接的な恵みと言ってもいいわけで、それゆえ人は、直接的でない恵みだからこそ、普通に感じる美しさとは違った美しさを朽ちる事に感じ、時として惹かれるのかもしれません。

だから、わび、さびと言った感性も、突き詰めていくと、もしかしたら、土に還る朽ちる事に対する心地良さであり、もっと言えば、生物が生きていく上で、必要不可欠な循環に対する心地良さの感情なのかもしれません・・・。

と、そんな事を、ざーざー降る雨の中、この朽ちた家を撮りながら、とりとめもなく考えていたのだ・・・。(^^;

 


秋の松川中央公園(リンリンパーク)

午後、子供と松川村の図書館に行った際、裏手の松川中央公園(リンリンパーク)の秋の風景を撮ってみやした。お山に広々とした芝生に紅葉と、なかなか、綺麗な公園なのだ。そして、さりげなく、公園内には、足つぼを刺激するコースや健康器具が設置されていて、この辺りに、男性長寿日本一の村を感じさせられたりするのだ・・・。(^^;

松川中央公園(リンリンパーク)

松川中央公園(リンリンパーク)

松川中央公園(リンリンパーク)ベンチと紅葉

 


安曇野の超レア風景

この風景は少なくとも僕にとっては超レア風景なんですが、一見、どこが?って感じだと思います。常念岳に巻藁とリンゴ園は、安曇野のあちこちで見かけますから、安曇野を知っている方ほど、どこが?だと思います。

一つ一つは、安曇野なら、どこでも目にする風景なんですが、実は案外、常念岳が入るリンゴ園は少なかったりします。巻藁とリンゴ園が同時に入る場所も、そんなにありません。そして、極め付けは、リンゴ園のリンゴの木には、大抵、リンゴの重みに枝が耐えられるようにするためだと思いますが、木のあちこちに、紐というワイヤーがかかっています。ところが、このリンゴ園のリンゴの木には、そういったワイヤー類が一つもかかっていませんでした。

ワイヤーがかかっていないリンゴ園のリンゴの木と巻藁、常念岳、この3つが揃って入る場所ってのは、安曇野中、かけずりまわっても、ここくらいじゃないかと思われるような、レア風景なのです。(^^)

安曇野の超レア風景

 


黒沢川沿いの桜の紅葉と山口家のカエデの紅葉

カエデの紅葉のような艶やかさはありませんが、桜の紅葉も僕はけっこう好きなのだ。(^^)
黒沢川沿いの桜がいい感じに紅葉していたので撮ってみました。

 

黒沢川沿いの桜の紅葉

黒沢川沿いの桜の紅葉

 

こちらは比較の為、春の黒沢川沿いの満開の桜を

満開の黒沢川沿いの桜

 

大庄屋山口家横のカエデの紅葉。やはり、桜の紅葉に比べるとカエデの紅葉は艶やかですね!!

大庄屋山口家のカエデの紅葉

 


上田市と横浜市からのお客様を安曇野案内

上田市と横浜市からのお客様を半日、安曇野案内させて頂きやした。
穂高駅で待ち合わせて、穂高神社、大王わさび農場、安曇野餃子館で昼食、北アルプス牧場でソフトクリーム、満願寺、高瀬渓谷、最後は高瀬館の露天風呂って感じでまわらせて頂きました。かなり満喫してもらえたようで、喜んでもらい、僕も嬉しかったのだ。(^^)

 

穂高神社神楽殿と菊の花

穂高神社神楽殿の菊

 

大王わさび農場

大王わさび農場

 

満願寺

満願寺

 

高瀬館の露天風呂

高瀬館の露天風呂

 

そして、最後に今日の僕のお気に入りの一枚。(^^)

満願寺の紅葉の下で

 


長野県中部の天気

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