X

魏石鬼岩窟と陵塚古墳

有明山神社の北東、正福寺から山の中へ10分ほど歩いたところに、八面大王が立て籠もったと伝えられる魏石鬼岩窟(ぎしきのいわや)がある。大王わさび農場にある大王窟は、こいつのレプリカだ。

こちらでは、八面大王伝説で知られる八面大王だが、大王わさび農場はもちろん、安曇野のあちこちの地名が八面大王伝説由来だ。八面大王は謎に包まれた人物で、拠点としていた宮城(みやしろ)の名前や、当時、九州で起こった磐井の乱との絡みで、天皇家ゆかりの者だったのではないかという説まであるくらいなのだ・・・。

魏石鬼岩窟はドルメン式古墳と言われる巨石墓の一種だ。だから、実際に八面大王がここに立て籠もったって事は無いような気がする。ドルメン式古墳は西ヨーロッパが起源らしいが、日本では九州地方に多く存在するようだ。つまり、これも、海洋民族である安曇族との繋がりを示すものなのかもしれない・・・。

そして穂高には、穂高古墳群として90基近い、小さな古墳が西山山麓を中心に点在してしるようだ。下の写真の陵塚古墳もその一つだ。この古墳群の古墳は、魏石鬼岩窟とは、また種類が違ったもので、それまでの文化とは断絶しているし、安曇族のものとも違い、忽然と現れた代物で謎に包まれているというような話をどこかで読んだ気がする。いずれにしても、古代史ロマンの漂う地域なのだ。(^^)

大王わさび農場の魏石鬼岩窟のレプリカ

宮城の魏石鬼岩窟

陵塚古墳

矢村やすけ: 矢村やすけと申します。 僕が住む、安曇野には八面大王伝説という伝説があります。その伝説の中で、妖力の強い八面大王をうつ為の矢に使う三十三節ある山鳥の尾羽を、矢村に住んでいた弥助が坂上田村麿呂に献上します。現在、僕が住んでいる場所が、その矢村地区に近いので、矢村やすけとしました。 安曇野の地名は、この八面大王伝説由来のものが多いです。そんな伝説に彩られた安曇野の風景を主にスマホ写真で投稿していきます。(^^)
Related Post

This website uses cookies.