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セミの脱皮と蝉時雨

深夜、ベランダに置いてある机の脚に、脱皮したてのセミがしがみついていた。まだ色がグリーンで透けていて綺麗だ。それにしても、よく、こんなところまで、よじ登ってきたもんだ・・・。(^^;

 

梅雨明けはまだですが、家の周囲では、すでに蝉が鳴き始め、蝉時雨って感じでごぜーます。(^^)

よく考えてみると、蝉時雨って、夏の音を皮膚で感じるような、なんとも情緒のある言葉ですよね!!
蝉時雨ってのは、たくさんの蝉が鳴いてる様子を、時雨が降る音に例えている言葉だと思うのですが、夏の蝉の鳴き声って、まさに、木の上から一面に降ってくる感覚がありやす。人にもよるかもしれませんが、かなりやかましく鳴いているにも関わらず、僕は、ほとんど、うるさいとは感じません。そのまま、環境に溶け込んでいる音とでも言いましょうか・・・。そう言えば、縁側のスイカの光景って、頭の中では、蝉の鳴き声と一体になっていたりしますよね・・・。

田舎暮らしの僕は、この時期、蝉の鳴き声と、小鳥のさえずりを聞きながら、目を覚まします。夜は、虫たちの声を聞きながら眠りに落ちます。しかも、それを、ほとんどの場合、特に意識しません。環境と一体化した音だからだと思いやす。そして、その音から、時として涼しさまで感じたりする事までありやす。

都会の朝も、独特の雰囲気があります。個人的には、田舎の朝よりも熱気があり、一日の始まりを強く感じます。ただ、都会の朝は窓を空けると、エアコンのファンの音や車のエンジン音、電車の音等で充満しています。個人的な感覚では、朝の落ち着き感が無いというか、朝一から即臨戦態勢で、緊張感がみなぎっているというか、なんか、そんな感じがあります。

僕は都会に行くと、高級なところへ泊まろうが、ビジネスホテルやサウナに泊まろうが、とにかく早く、田舎に戻りたくて、たまらなくなりやす。よくよく考えてみると、それは、この音に原因の一つがあるように思ってみたりもしやす・・・。

蝉時雨って言葉を英語で何というのか、調べてみると、「cicada chirps」や「the chirping of cicadas in chorus」と言った表現を使うようです。単純に「蝉の鳴き声」だったり、「蝉のコーラス」だったりするわけです。蝉時雨って言葉に比べると、随分と情緒がありやせん。こうしてみると、蝉時雨って言葉は、皮膚感まで呼び起こしてくれる、なんとも風情のある言葉だと思います。日本語って素晴らしいですよね!!(^^)

都会で聞く音ってのは、そのほとんどが人工音なわけで、人類の歴史で考えれば、ついつい最近、聞き始めた音なわけです。それに対して、蝉の鳴き声や小鳥のさえずりなど、こういった自然からの音は、人類は、その歴史の大半の部分で聞き続けてきた音であり、言わば遺伝子レベルで擦り込まれている音のような気がしやす。だから、うるさく感じず、逆に心地よさを感じる音なのかもしれません・・・。

普段、特に意識することの無い、環境から受け取る音ですが、意識しない分、我々の心に大きく影響しているものなのかもしれないと、蝉時雨という情緒ある言葉を、改めて噛みしめながら、思ったりしました・・・。(^^;

「蝉時雨」という日本語は美しい・・・。(^^)

 

 

矢村やすけ: 矢村やすけと申します。 僕が住む、安曇野には八面大王伝説という伝説があります。その伝説の中で、妖力の強い八面大王をうつ為の矢に使う三十三節ある山鳥の尾羽を、矢村に住んでいた弥助が坂上田村麿呂に献上します。現在、僕が住んでいる場所が、その矢村地区に近いので、矢村やすけとしました。 安曇野の地名は、この八面大王伝説由来のものが多いです。そんな伝説に彩られた安曇野の風景を主にスマホ写真で投稿していきます。(^^)
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