わさび田の用水路
まだまだ、春が遠い安曇野ですが、わさび田の間を流れる用水路の水の煌めきや、流れの音が、だいぶ春めいてきているのだ。花が咲き乱れる春が待ち遠しいのう・・・。(^^;
用水路を流れる水の煌めき
用水路とクレソン
ちろりん村 清流庵
久しぶりに、ちろりん村の清流庵さんで蕎麦を食べたのだ。
安曇野にはたくさんのお蕎麦屋さんがありますが、個人的に、味×量×値段だと、ここが一番です。ざる蕎麦が、普通のお店の3倍くらいあります。しかも税込で600円なので、かなり満足度は高いです。もっとも、11時開店で、11時にいくと、「すいません、売り切れです。」と言われてしまう事がよくある、お店なんですが・・・。(笑)
周りの田園風景といい、都会では絶対に味わえない雰囲気のお店なので、安曇野にお越しの際は、寄られてみると良いお店かもしれません。そのまま行くと、かなりの確率で、「売り切れ」の憂き目にあいますので、電話予約は必須ですけど・・・。(^^;
ざる蕎麦
店内
だるまストーブ
佐久穂町で見かけた福寿草
福寿草は安曇野では、また、本格的に咲きだしてませんが、佐久穂町では綺麗に咲いていたので、思わず一枚。(^^)
ちなみに、福寿草は猛毒でごぜーます。致死量から考えると、かの有名なトリカブトより、はるかに毒が強いということになりやす。くれぐれも食ったりせんように、お気を付け下さいませ。(^^;
山本五十六記念館 米内光政の書
先週、長岡で、山本五十六記念館に立ち寄ってきました。
「国大なりといえども、戦いを好まば必ず亡ぶ、天下安らかになりといえども、戦を忘なば必ず危うし」
なんとも個人的には胸に刺さる言葉です。国家でなくとも、僕個人としても胸に刺さる感じの言葉です。この言葉は元々、中国の兵法書にある言葉のようですが、山本五十六の国葬のあとに、米内光政が追懐した書だと説明に書かれていました・・・。(^^;
ちなみに、昭和天皇が最後に米内光政に「米内には随分と苦労を掛けたね。それがこんな結末になってしまって・・・。これからは会う機会も少なくなるだろう。米内はだいぶ体が弱っているようだから、健康にくれぐれも注意するように。これは私が今さっきまで使っていた品だが、今日の記念に持ち帰ってもらいたい。」と声を掛けられるシーンは何度読んでも涙が出そうになります。そして、海軍解体の日に米内光政が示した意志と言うか思いは、現在の海自へと引き継がれているのではないかと僕は思ったりします・・・。
なぜか、米内光政の書の言葉に妙に惹かれ、山本五十六記念館に行ったのに、米内光政に興味を持ってしまい、色々と調べてしまいました。これまで、米内光政と言えば三国同盟に反対していたことくらいしか知らなかったですけど、調べてみて、人物像も含めて大した人だったんだなーと思いました。写真は、その書と、撃墜された山本五十六長官機の左翼部分でごぜーます。(^^;
米内光政の書
撃墜された山本長官機の左翼部分
追記:米内光政の書の言葉に関して、こちらのブログに詳しい説明が書かれていました。(2016年8月6日)
大町で出会った風景
せせらぎも、だいぶ、春の雰囲気が漂ってきとりました。
木の内部だけが腐って、なんか筒っぽくなっており、その内側に苔が生えている様子がおもろかったので、なんとなく、一枚。(^^)
西正院大姥堂(せいしょういんおおばどう)
いつもは、前を通り過ぎるだけで写真なんぞ撮った事がなかったが、今日はたまたま、両脇に雪が盛られ、ちょっと雰囲気があったので撮ってしまった。(^^;
そして、せっかく写真を撮ったので調べてみたら、このお堂には、佐々成政が浜松の家康を訪ねるために、後立山連峰を越える際に、旅の安全を祈って立山芦峅寺(あしくらじ)から持ってきた大姥尊像が祀られているんだとか・・・。
そして、姥尊像という老婆の像は、前田利家をはじめ加賀藩の武将たちが篤く信仰していたらしい。調べると、なかなか深い。てっきり、その辺によくある、お堂だと思っていたが、いや~、知らん事って多いもんだ・・・。(^^;