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漆久保トンネル 旧国鉄篠ノ井線廃線敷をウォーク

日頃の運動不足解消も兼ねて、旧国鉄篠ノ井線廃線敷の潮神明宮から漆久保トンネルまで往復してみました。(^^)

 

 

旧国鉄篠ノ井線は明治35年に開通し、昭和63年に新線が完成した事によって86年間の役目を終えています。現在では、レンガ積みの漆久保トンネルをはじめ、信号機や電柱など、当時の面影を残したまま、JR明科駅から旧第2白坂トンネルまでの約6キロの遊歩道になっています。

比較的平坦な道で、当時の篠ノ井線の面影や緑、アルプスなどの風景を楽しみながら、気軽に歩ける道になっています。ただ、線路の砂利がそのまま残っているので、人によっては、靴底が厚い靴で歩いた方がいいかもしれませんね。僕は、普通の運動靴で気になりませんけど・・・。(^^;

 

今日は明科駅からではなく、潮神明宮から歩き始めました。潮神明宮は平安時代末から鎌倉時代にかけて創建された歴史の古い神社のようです。

 

潮神明宮を過ぎてすぐに見えてくるのが、三五山トンネル(さごやまトンネル)です。三五山トンネルは、明治30年代に建設された全長125メートルの煉瓦造のトンネルです。

 

遊歩道は線路の面影を残しており、下の写真のように、線路の砂利がそのまま敷き詰められたようになっている場所が多いです。僕はあまり気になりませんけど、人によっては登山靴のような靴底の厚い靴で歩かれた方がいいかもしれません・・・。(^^;

 

遊歩道沿いで目についた、タールが塗られた古い電信柱。
僕がまだ子供の頃は、こんなタールが塗られた電信柱がまだ立っていたものです。懐かしい・・・。(^^)

 

道沿いには、こんな枕木を使ったベンチ?も。

 

途中には道祖神も。

 

道沿いに立ち並ぶ古い電信柱。

 

ところどころにある案内板も、駅を意識したものになっています。

 

そして、道中や漆久保トンネル前などに、スタンプ付き場が設置されていました。中には記帳用のノートも置かれており、ちょっと読んでみたり、書いたりするのも、面白いかも。せっかくなので、スタンプを付いてみました。(^^)

 

道沿いには、線路の遮断機も、そのまま残されていました。

 

アーチ型をしたレンガ積みの小沢川橋梁。

 

そして、漆久保トンネルに到着。

 

漆久保トンネル前の看板には、以下のような説明が書かれていました。

漆久保(うるしくぼ)トンネル

明治30年に開通した全長53mの総煉瓦造のトンネルであり、100年前の鉄道トンネルの典型として文化財的価値が高い。

開通当初より補修工事等が施されておらず、保存状態も良いため当時の面影をそのまま残している。

また、トンネル内に付いている黒い煤は、当時蒸気機関車が走っていたことを伝えており、レンガ色とのコントラストが鮮やかである。レンガは、現在の明科高校付近で焼かれ、そこから鉄道敷にトロッコ線を設けて運搬されておりこのトンネルが開通するまでの苦労が思い起こされる。

 

この看板の説明文にもある通り、レンガと煤の色が、なんとも言えないコントラストを描いており美しかったです。

漆久保トンネルを内部から

 

そして、煉瓦が、ホームページ等の素材にでも使えそうなくらい綺麗だったので、煉瓦だけアップでも撮ってみました。最近、積んだ、煉瓦では、この味は出ないですもんね・・・。

 

今日は、潮神明宮から漆久保トンネルまで歩いてみましたけど、とりあえず、漆久保トンネルだけ見たいって場合は、車で国道19号の「木戸」の信号機から県道403号線へ入り、3キロほど走ると、右手に東川手簡易郵便局が見えます。簡易郵便局で小さいので、見落とさないように注意が必要です。そこを過ぎて直ぐに、漆久保トンネルへの看板が出ています。こちらも、大きなものではないので、見落とさないように注意って感じです。その看板を右折してすぐ駐車場があり、そこから漆久保トンネルまでは100メートルほどです。

僕だと、見て終わっちゃうんですけど、鉄道好きの方は、さらに色々と楽しめるんじゃないかと思います。(^^)

 

 

矢村やすけ: 矢村やすけと申します。 僕が住む、安曇野には八面大王伝説という伝説があります。その伝説の中で、妖力の強い八面大王をうつ為の矢に使う三十三節ある山鳥の尾羽を、矢村に住んでいた弥助が坂上田村麿呂に献上します。現在、僕が住んでいる場所が、その矢村地区に近いので、矢村やすけとしました。 安曇野の地名は、この八面大王伝説由来のものが多いです。そんな伝説に彩られた安曇野の風景を主にスマホ写真で投稿していきます。(^^)
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