「これまでの人生で一番美味しかったもの」 天国の美味しさだったカツ丼! なぜあれほど美味かったのか?

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あの日のカツ丼は天国の美味さだった・・・

 

僕のこれまでの人生の中で、一番美味しかったものを何かと聞かれれば、迷うことなく「カツ丼」と答える。あの日、食べたカツ丼は、僕の中では群を抜いた美味さで、今後、生きてる間に、あれよりも美味いものには出会えないのではないかとさえ、思ってしまうくらいだ・・・。

 

 

勝負!

小学校2年生の時、どういう状況で、ああいう事になったのか既に記憶には全くないが、教室の机や椅子を隅にかためて、空いた教室で、相撲大会のような事になった。そこへ担任の先生も参入してきた。まだ若くてスポーツの得意な先生だった。皆で次々と先生に飛びかかるが、当然の事ながら、全く相手にならない。

そこで、先生は突然、「先生の足を一歩でも動かせたら、そいつには、何でも食べたいものを、おごってやる!!」と宣言。「よーし!」と、クラスの力自慢の子も、次々と飛びかかるが、やはり全く相手にならない。力自慢の子が全く相手にならないのだから、当時、体も大きくなかった僕が普通に挑んでも、相手になるはずがない・・・。

足を一歩でも動かせればいいわけだから、足にタックルさえ出来れば、僕でもこの勝負に勝てるのではないかと、皆がどんどん飛びかかっていく中、虎視眈々と、そのタイミングを僕は狙っていた。当時の映像は、ほとんどが頭の中でボヤけたものになっているけれど、不思議と、このタイミングを狙っていた時の映像だけは、未だにクリアなままだ。

そして、遂に、そのタイミングがやって来た。次々と飛びかかかって来る子を投げ飛ばしていた先生だったが、一瞬、バランスを崩した瞬間があった。今だ!と、僕は飛び出し、見事に先生の右足へのタックルに成功した。その結果、足を動かすどころか、先生はひっくり返り、僕は大勝利を手にしたのだ。(^^)

 

この大勝利の後、先生や同じクラスの子たちが、どういう反応をしたのかは、全く覚えていない。
「約束だから、次の土曜日の昼に奢る。お母さんに、土曜日は先生とご飯を食べてから帰ると、言っておけ。」と先生に言われた事だけを憶えている。

※当時は、土曜日は休みではなく、午前中だけ学校に行って、お昼を家に帰って食べていました。

 

まあ、理由はなんであれ、先生が特定の生徒を食事に連れて行くなんてのは、今だと、すぐに問題になってしまいそうな気がするので、当時は、なんとも、社会にゆとりのある、いい時代だったんじゃないかと思います。

この先生には、僕は、何回も、顔に手形がつく位にぶん殴られた記憶があるけれど、休みの日に僕ら生徒をスケートに連れて行ってくれたり、先生の家に遊びに行ったりと、大好きな先生だったのだ。よく、ぶん殴る先生だったけど、みな先生の事は好きだったし、却って、今の先生と生徒との距離感よりも、すごく近かったような気がするのだ・・・。

 

 

天国のような美味さのカツ丼に出会う

話はちょっと横にそれてしまったけど、土曜日、先生に学校のすぐ近くの昔ながらの小さな定食屋さんに連れて行ってもらった。僕と先生以外に、他の先生も何人かお昼を食べに来ていて、少し緊張したことを憶えている。

先生に好きな物を頼めと言われ、僕はカツ丼を注文した。先生はと言うと、一番安く、量も少ないラーメンを頼んでいたので、「先生は、カツ丼を食べんの?」と聞くと、「先生は、このラーメンが一番好きなんだよ。」と笑っていた。子供ながらに、先生は僕にカツ丼を奢るから一番安いラーメンになっちゃったんだろうと、なんか申し訳なく思ったことは憶えている。当時、先生は結婚したばかりだったし、実際、節約をしていたんじゃないかと思う・・・。

出てきたカツ丼は、シンプルでつゆだくなものだった記憶があるが、その美味しさたるや、世の中には、こんな美味い物があったのかと思うくらいの感動的な美味しさで、まさに天国の美味しさだったのだ。これ以後、僕は好きな食べ物を尋ねられれば、カツ丼と答えるようになった。そして、これを上回るカツ丼を探し続けることになる・・・。

 

カツ丼は僕の好物であり続け、高校を卒業するまでは、よく母にも頼んでカツ丼を作ってもらった。母の作るカツ丼は、今考えても、美味しい物だったけれど、でも、あの日、先生に奢ってもらったカツ丼の美味さには遠く及ばない。

大学に行き、独り暮らしをするようになってからは特に、あの日のカツ丼の味を求めて、あちこちでカツ丼を食べ歩いた。高級豚だったら、美味いのかもと、ちょっと高級なカツ丼を食べてみたりもしたけれど、どれも、あの日のカツ丼の足元にも及ばない・・・。

これだけ、あちこちのカツ丼を食べても、あの日のカツ丼には、どれも遠く及ばないわけで、実際のところ、あの小さな定食屋さんのカツ丼は、どんなもんだったのだろうかと、実家に帰省した際、立ち寄ってみたところ、残念ながら既にお店はなくなっていた。こうなると、あの日のカツ丼の味は、頭の中で美化され続けて、僕の記憶の中では神の食べ物かなにかのような究極のものになってしまっているのだ・・・。(^^;

まあ、ふつうに考えれば、古い小さな定食屋さんのカツ丼が、それほど、特別なはずがない。
あの日のカツ丼は、なぜ、あれほど、美味しかったのだろうか?

 

 

衝撃的な美味さを感じた松茸の土瓶蒸し

このカツ丼ほどのインパクトではないけれど、僕の人生の中でもう一つ、衝撃的に美味いと感じたものがある。それが、20代の頃、大阪の北新地で食べた松茸の土瓶蒸しだ。

松茸の土瓶蒸し

基本的に、松茸の土瓶蒸しは美味い。だけれど、以後、食べた松茸の土瓶蒸しの美味さには、この北新地で食べた土瓶蒸しのような衝撃的な美味さはない。やはり、これも、あの日の松茸の土瓶蒸しは、なぜ、あれほど美味かったのかと思ってしまう・・・。

 

 

新たな刺激が大事!

小学校2年生の時に、先生に奢ってもらったカツ丼を考えてみると、当時は今と違って外食をするなんて事は、ほとんどなかった。つまり、お店で注文してカツ丼を食べた初めての経験だったように思う。そこに勝負に勝って、食べられるのは僕だけという特別さもあったし、あと周囲に他の先生がいて軽い緊張もあった。

北新地の松茸の土瓶蒸しも、たぶん、この時が僕が土瓶蒸しを食べた初めての体験だったように思うし、特別に連れて行ってもらっているという感覚や、状況的にやはり軽い緊張もあったように思う。

カツ丼も、松茸の土瓶蒸しも、実際に美味しい物だったという前提があり、そこに、「初めて」、「特別」、「軽い緊張」といった刺激が加わって、天国のような美味しさになったんじゃないかと思ったりするのだ・・・。

 

飲み会も、高校一年生の時に、先輩について来いと言われ、居酒屋に連れて行かれ、酎ハイを一杯か二杯飲んだ。この時、アルコールが入り、みな、陽気になっていき、ものすごく楽しかったことを憶えている。以後、この年になるまで、いろいろな飲み会に参加してきたわけだけれど、やはり、この時ほど楽しく、満足度が高い飲み会は僕の中ではない。

※今だと大問題になりますが、当時は、こういった事がけっこうありました。何十年も前の話なので時効ということで、ご勘弁下さい。

 

やはり、このケースも「初めて」、「軽い緊張」といった要素が入っている。「初めて」ってのは、自動的に「特別」や「緊張」といった要素を含む部分が出てくるわけで、味にしろ、楽しむことにしろ、「初めて」つまり新しい刺激ってのは、感覚的にマックスを引き出す為には重要な要素なんだと思うのだ・・・。

 

人は新たな刺激を求める動物

どんなに美味しい物でも、毎日食べれば、美味しいとは思っても、大きな感動はなく、マックスの満足度は得られない。安曇野の風景も、綺麗だと思って、眺めはするけれど、僕の中では毎日、眺めるものであり、そこにはマックスの感動はない。でも、毎日、眺める風景の中にも、自然は刻々変わっていくわけで、新たな発見があったりする。そんな時に大きな感動がある。

人は、マックスの満足度を得るためには、常に新たな刺激が必要な動物なんだと思う。

でも、常に新たな刺激を求める事は、ONE PIECE のルフィーみたいに冒険の旅でも出ない限りは、ふつうは難しい。ゆえに昨日と今日と、あまり変わり映えのない日常を過ごすことになる。けれど、人生のほとんどは、この変わり映えのない日常で構成されている。この日常に新たな刺激を呼び込む事が出来れば、人生の満足度は、より高いものになるような気が僕はするのだ・・・。

 

僕は、自然が好きで、毎日のように周囲の林の中を散歩している。毎日、同じようなところを歩き、今年も去年も同じ林だ。そういう意味では、新たに大きな刺激を求めてアマゾンの原生林の中を歩いてみたいなんていう欲求もあったりするけれど、日常的には、なかなか、そんな事は出来ない。でも、身の回りの同じ林でも、昨年と今年では色々と違っている。例えば、昨年は全く生えなかったギンリョウソウなんていう植物が、今年はザクザクと生えていたりする。

こういった発見は、小さいけれども、新たな刺激であり、ただの日常に、ちょっとした満足感を与えてくれる。毎日、変化があまり無いように思える日常も、好奇心や探求心さえあれば、小さな新たな刺激に満ちた、満足度の高い煌めく日々に変わるんじゃないかと僕は思うのだ・・・。

だから、メーテルリンクの青い鳥じゃないけど、この先、あの天国のような美味しさだったカツ丼に再び出会う事があるとすれば、何も特別なお店とかではなく、案外、身近な所じゃないかと思ったりするのだ・・・。(^^)

 

日常に新たな刺激を呼び込もう!!

 

matsutake20160514

 

 

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YASUKE YAMURA

これまでのコメント

  1. 大西 より:

    なんとも、ほっこりとする懐かしいエピソードですね〜〜(^^)
    日本人(日本人だけじゃないかもしれませんが)は、むかし、ケとハレという独特な文化があって、毎日陽が昇ったら畑に行き日が沈む頃に家に帰るという事の日々を繰り返して、何か特別な行事スペシャルな日がやって来る。そのハレの日には、おもいっきり楽しんで、その日(非日常)を楽しい想い出として胸にしまって、また日常に戻り畑を耕す生活に戻る営みを繰り返して来たのですが、今、現代人は、毎日がハレの日ばっかりで、そのハレばかりを追い求めていて(欲求の限り)その限界を知らない!そうなると、日常のほんの小さな出来事や幸せな事も、気付かなかったり、つまらなく思えたりする事になりかねない!と思うのです。そして、本当の幸せは日常の何気ないところにあり、ひいては自分の中にあるのだと思いました。

    • 矢村やすけ より:

      そのハレの日も、毎日、続けば、それはハレの日ではなく、日常になります。それが日常になれば、さらなる刺激を求めるのが人間です。欲望と一緒で、それは際限なく膨らんでいくものだと思います。そういう意味でも、足る事を知らなければ、幸せになる事はできないと僕も思います。そして、好奇心や探求心が日常の世界を変え、煌めきのあるものにしてくれると思うので、それを大切にしていきたいと思っています。(^^;

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